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#ymsr 送別会に行ってきた

friend

(個人の日記レベルのエントリであり、故人の思い出語りなので、ご存じない方はそっと閉じてください)

俺たちの幹事 @yamashiro が亡くなってしまった。知らせを受けたときは正直現実味が感じられなかった。知らせてくれたのが @meso だったから真面目に受け取ることができたというか、最初は java-ja の悪ふざけの一種かもしれないと思ってしまった。

今日 (日付上はもう昨日のことだが) 彼の送別会があった。皆で LT したり、真冬なのに打ち上げ花火を見たり、遺品を奪い合うビンゴ大会を行ったり、 java-ja らしい露悪的で自重しない送別会だった。今日会った人たちは皆それぞれのやり方で @yamashiro の死を受け止めようとしているので、そして遺族である妹さんも送別会で「書いてほしい」と仰っていたので、久しぶりに個人の日記を書こうという気になった。


送別会の帰り道で思い出したのは、 @yamashiro と出会った頃のことだった。

@yamashiro と物理的に出会ったのは 2008-02-14 で、つまり会ってから6年くらい経つ。何で日付まで覚えているかというと、その日は俺がデブサミでデベロッパーテスティング・ライブ - 自信を持ってコードを書くための心・技・体 -という講演を行った日だからだ。

講演後 Ask the speaker ブース(Q&A 用のブース)で最も多くの質問をぶつけてきて、最も多くの時間喋ったのが @yamashiro だった。質疑応答の時間をオーバーしてしまったので、場所を移動して日本ペアプログラミングの会の机をお借りして @yamashiro とペアプロを行った。つまり @yamashiro とは出会った初日にペアプロしたことになる。

でも、物理的に会う前から @yamashiro のことは知っていて、それはもちろんだが、 Twitter 上でだった。だから、ネット上での出会いはもう少し遡る。

Twitter を始めたばかりのときは、夕食中(俺の最初のツイートがどうやらこれらしい……)とか投票に行くとかつぶやくだけの意味不明なサービスだった。けれど、知り合いが増えるに従って面白さがだんだん分かってきた。エンジニアの間では 2007 年前半に Twitter ブームが来ていて、大半の知り合い(はてダ界隈、 Seasar 界隈、オブラブ関係、 JavaEE 勉強会関係とか)は Twitter を始めていた。 Twitter は自分のソーシャルグラフを写し取って、知り合いとしゃべるサービスに変わった。

俺は既に id:t-wada として少し知られていて、しかも当時の Twitter は follow してない人への reply も見える仕様だったり、今でいうところの非公式 RT しか無い時代だったので、 follower はすぐに増え始めた。そんなころ @yamashiro にも follow されたのだと記憶している。でも実は @yamashiro というアカウントが色々な人から mention や reply されていて、俺の方でも既に知っていたのだった。


そんな 2007 年のクリスマスが近づいてきたころ、 @yamashiro に小さな事件が起こった。ある女性から @yamashiro にクリスマスの予定が空いているか誘いのメールが来たというのだ。 @yamashiro は Twitter 上で喜びを爆発させ、ちょっとした祭りになった。しかし程なくしてそのメールはキャバクラ等のいわゆる営業メールであることがわかり、 @yamashiro は今度は悲嘆に暮れることになり、またも(もう少し大きな)祭りになった。道化となり「もう死ぬ」的なつぶやきを繰り返す @yamashiro に対して Twitter 上で励ましの mention が集まり、俺も「@yamashiro イキロ」と短い reply を送った。

残念ながらこのやりとりのツイートがいくら検索しても出てこないが、近いツイートはこのあたりか。

(そのころの @yamashiro はドラゴンボールのフリーザのアイコンだったと記憶している)

なぜこんなことを覚えているかというと、その短いツイートは、会ったことの無い人に reply/mention した最初のツイートだったからだ。それもこれも、彼のツッコマレビリティのなせる技だったのだと思う。 @yamashiro は俺にとって、直接の知り合いとのおしゃべりだけで構成されていた Twitter からもっと大きいネットワークへと広げるきっかけになった人だった。自分で言うのも何だけど慎重な性格なので、こんなくだらなく短いツイートでも緊張したことを覚えている。そこから、彼とのやりとりは始まった。


脱線した。そんなこんなで既に Twitter 上でやりとりのあった @yamashiro とデブサミ講演後に質疑応答やペアプロで意気投合し、その後 java-ja でデブサミの講演を再演をして欲しいという流れになり、デブサミの10日後(!) 2008-02-24 に「第一回チキチキ 日本ペアプログラミングの会java-ja支部会」で俺は java-ja になった

その日のことは @yamashiro も「java-ja 第八回 第一回チキチキ 日本ペアプログラミングの会java-ja支部会に参加してきました」というタイトルで日記に書いていて、今日読み返すとちょっと感情が揺れてしまう。


それからの Twitter はもっと楽しいものになった。@yamashiro の家に太一が乱入して ust を始めてからの馬鹿騒ぎにはてなポイントを投げ銭したり(ブクマを調べたら ust のスクリーンショットがあった)、@yamashiro の非モテアピールツイートがリア充タイムのカモフラージュであると動物的に察知した太一が @daisuke_m と共にスニーキングする祭りがあったり(しかもそのときのデート相手、当時女子大生だった女性は今日の送別会に参加されていた。これも驚きだった)。

俺自身もTwitter 上で軽率な発言をして祭りになるたび、@yamashiro は火を点けたり延焼させたりしていた。ただただ、楽しかった。


2012 年に俺が結婚したときは、 @yamashiro は二次会の幹事を引き受けてくれた。二次会本番まで期間が無い中で大変な役を引き受けてもらって、とてもとてもありがたかったし、あまりにデスマだったので申し訳なく思っていた。 @yamashiro の番のときに恩返しをしたいと思っていたのに、それが出来なかったのが無念でならない。


最後に @yamashiro と遊んだのは去年の夏、東京湾花火大会だった。

うっかりクルーザーを貸しきった @yamashiro から誘いがあり、ワリカンでも決して安くはなかったけど、俺もクルーザーに乗りに行った。

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「結果、すげーーーーーー楽しかった」と @yamashiro も書いているとおり、非常に楽しかった。あれは乗ってみないと、すぐ近くの洋上で大花火を観てみないとわからないだろう。

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花火からの帰り道、 @yamashiro と「なあ和田さん、今日楽しかったな」「楽しかった」「俺うっかりチャーターして本当に良かったわ。だから来年もうっかりしようと思う」などと話した。それなのに @yamashiro はうっかり亡くなってしまった。うっかりしすぎだろ。なにやってるんだよ。おい。

だから、送別会の飛び入り LT で今年は俺が故人の遺志を継いでうっかりクルーザーを貸し切ると宣言した。

今日の送別会の花火は季節外れの綺麗な花火だった。でも、夏の洋上の大花火も同じくらい綺麗だ。故人を偲びつつも、楽しい花火になると思う。募集の準備が整ったら募集するので、興味がある人はぜひ来てください。(追記: 今年はクルーザーをチャーターできず断念……)


思い出を書いていたら止まらなくなってしまうので、このあたりで終わりにしたいと思う。

@yamashiro 先生、ありがとう。しばらくさようなら。持ち前の幹事力で、そっちを仕切っていてください。